望まれた男。  その男はさえない男だった。  服装もだらしなく、髪もボサボサ。流行のテレビを見ることもなく、女になどモテたこともなく、 しかしそれを気にもとめず、人生を生きていた。  だが、その日は朝から街の様子が違っていた。  男の目にはいつも灰色にしか見えていなかった街が、どことなく明るく見えた。  実際それは正しかった。  不況のさなか、街にはいつになく活気があり、道行く誰もが男に視線を向けた。  「そこの、おにいさん! どう? お腹空いてない!? いくらでも割引するからさ! ちょっと寄ってってよ!」  いつもなら、いかがわしい店の客引きですら声を掛けられない男が、今日はこんな調子でもう三回目だ。  ぶらぶらとすることもなく、道を歩いていた男だが、小腹が空いてきたことにふと気付き、ちょうど十回目の 誘いに乗ってみることにした。  そこは、小さな洋食屋だった。  カランカランと、小気味よいベルの音をならしながら店内に入る。 「いや、よくぞ当店においで下さいました! どうぞ、どんなものでも、お好きな物をご注文下さい! いや、  いやいやお代なんて結構です! ですからどうぞ今後とも当店をご贔屓に……。」  男は、平に平に頭を下げながら席に案内する店主に、まさに「狐につままれた」ような気分になりながらも、 小さめのハンバーグとライスを注文した。  少し待つと、ちょっと年老いた給仕の女がいかにも厳かな振る舞いで料理を運んできた。  みれば頼んでもいない、サラダにクリームソーダまで付いている。こころなしかハンバーグも大きい。 「あの……コレ……」 「いえ、いいんです! 当店のサービスでございます! どうぞ、存分にお召し上がり下さい! どうぞどうぞ、  足りない物がございましたらなんなりとお申し付け下さいませ。」  男は、ますますおかしな気持ちになりながらも料理をたいらげ、店を出た。  もちろん、会計など一切していない。  それからというもの、街のあちこちで同じようなことがおこった。 「あ! そこのおにいさん! どう! このカメラ!! 気に入ったらもってっていいんだよ!」 「そこのアナタ! どう? ちょっと一杯! いいっていいって、オレに奢らせてよ!」 「あら、ねぇ……アナタ私のタイプだわ……今晩……うちに来ない……?」  だんだんと気を良くしていった、男はどんどんと横暴になっていった。  店に入っては物を勝手に持っていき、勝手に注文し、そして道行く女達を端から誘い、朝まで飲み明かした。 だが、もちろん、どの店の人間も、女達も嫌な顔ひとつせず、ニコニコと笑って男に尽くすのだった。 そんなことが続いたある日、男は街の様子が変わったことに気が付いた。  これまで、あれほど声を掛けられたのに、今日はいっこうに声を掛けられないどころか、道行く人、まるで男が 存在していないかのように、一瞥もくれず、通り過ぎていく。  店に入ってもタダでごちそうしてくれることもなく、女達も男から声をかけてやっても見向きもしない。 「ど、どうなってるんだ……?」  男はその街の変わり様に、唖然とし、徘徊した。  誰にも声など掛けられず、見向きもされず。  そこにはただの、さえない、男にもどった彼がいた。  街を夢遊病者のように数時間うろついた男は、自分が空腹におかれていることに気付いた。  ふと顔をあげるとそこにはあの洋食屋があった。  呼び込みの店長はいるが、男を誘うことはない。  男はとりあえず、その店に入り、席に着くが注文を取りに来るどころか、水すら出てこない。  男は、苛立ちながらも、渇いたのどを潤そうと、大声でクリームソーダを注文する。  店の奥からは、あの年老いた女の声で小さく「はいよ。」と帰ってきた。  しかし。 …… …… ……  しかし、待てど暮らせど、クリームソーダは出てこない。  男は大声で催促するが帰ってくるのは女の気のない返事ばかり。  三度目の催促でようやく出てきたクリームソーダにはなんと、クリームがない。  男は、怒りを通り越し呆れ果てながらも、その「ソーダ」を一気に飲み干した。  ふうっと一息つきようやく落ち着きを取り戻した、男の目にあの店主の顔がうつった。  店主はまるまると太った女性を仰々しく座席に座らせ、あの日男にいったセリフと全く同じセリフを吐いた。  ああ、なんてことだ! 一言いってやらねば気が済まない!  男は勢い良く席を立ち、店主の襟首を掴み、くってかかった。 「おい! 一体どういうことなんだ!! オレにはサービスはないのか!?」  しかし、店主はその手を強引にふりほどき、男を突き飛ばした。 「いきなりなんだってんだ! オレはちゃんとサービスしてるぜ! ……ははあ、アンタもしかしたらアレを  しらないのか?」  そういった店主は今日の新聞の一面を持ってきて男に投げつけた。 「アンタ、少しは世間を見た方がいいぜ」    新聞にはこうあった。 「第二回 ポイントターゲット制度 対象は 太った女性!」  はいつくばる男に向かって店主は言った。 「今や、この国は資本主義でもなければ、社会主義でもない。このポイントターゲットになった人間をどれだけ  集めたかで全てが決まるのさ。所得も税金も地位も名誉もな。」  男は何をも理解できずに、そこにいるしかなかった。  年老いた女は、男に千二百円と書かれた伝票を突きつけていた。